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サトラレメイド
サトラレメイド
作者: 深田あり

1章 サトラレメイドに恋をして 1

作者: 深田あり
last update publish date: 2026-06-13 20:02:59

 いくたびも、雪の深さを、尋ねけり。

 正岡子規が読んだ句の通り……と言うには雪などこれっぽっちも降っていないし、にこやかな晴天が空を覆い尽くす十二月上旬の東京市。

 本郷区向ヶ丘に居を構える第一高等学校の廊下で、俺は先日のテスト結果が張り出された紙を眺めながら盛大に高笑いしていた。

「はーははっははっはは!」

 市川誠二の名前が七番目に記されている。つまり七位だ。試験一週間前から睡眠五時間で勉強し続けた甲斐があったと言えよう。周囲の学生たちがぎょっとした目でこちらを見るが、俺は全く気にしない。

「んー、快調快調。よっしゃ、次は五位以内を目指そう! よし、この順位を祝してちょいと腕立て伏せしてみるか。文・武・両・道! 文・武・両・道!」

 廊下だというのに、ついで言うならみんなが見ているのに構わず腕立て伏せをする俺。誰かが何か言ってるが、全く気にならん。

「おお、筋肉の調子もいい。うーん今日は射撃場にでも行こうか。おお、体が鍛えられる快感が、この俺の魂を揺さぶる!」

 さて、二百回ほど腕立て伏せを終えた頃にはもう学生など誰もおらず、皆呆れて帰ってしまった模様。

 俺は額にたまった汗をぐいっとぬぐうと教室に戻り、帰る準備を始める。マントを羽織り、鞄を持ち、本を片手に教室を出る。ちなみに本は美容について書かれた婦人雑誌だ。

「本によると垂れ下がるあごを緊縮せしむるには……ほう、包帯で顔をぐるぐる巻きにするといいのか! 俺は身だしなみにも全力投球だからな。女物の美容雑誌もしっかり読まねば!」

 大正十年。原敬が暗殺され、シベリア出兵も三年目に突入。欧州大戦後の好景気も露と消え、圧倒的な不景気が世を覆い尽くす暗い世相。

 俺はそんな時代を蹴散らすかのような明るさを全身に宿しながら、ずんずんとマントを翻し、廊下を闊歩していく。勿論本を読みながら。

 男が婦人雑誌なんて……と昔なら言われただろうが、最近は婦人の権利も拡充してきたし、男が婦人雑誌を読んでも許されるだろう。

 それにしても俺は凄い。凄すぎる。

「ああ、頑張るって素敵だなあ。一生懸命って麗しいなあ。日増しに向上する自分のスペックがたまらない!」

 俺は頭がいい。体も頑健で柔道もしており運動神経抜群。さらに美容にまで凝っていて道行く人の視線を釘付けにする美男子だ。おまけにスペックなんて言葉も知っている。

 まさに完全なる存在と言えよう。

 しかし……と、俺の足が止まる。

「何かが足らない。何故か、燃えさからない。何故だ……」

 こんなに頑張っているのに、どういうわけか満足が出来ない。  傲慢だろうか。しかしそれでも自分に嘘はつけないのである。

「俺はこのまま帝大に進学し、家業を継ぎ、そして結婚する……うーむ。別に俺は頂点に君臨する魂《おとこ》ではない。だから伸びしろはあるはずなのに、なんでだ、なんでこう燃えないんだ?」

 勉強を死ぬ気でやっても、柔道に撃ち込んでも、美容に凝っても、全く満足しない。どうしても充足感を得られないし、これじゃないという謎の声が胸の内から聞こえてくる。

「俺は魂《おとこ》! 魂《たましい》と書いて男なのに! オー、魂《おとこ》の中の魂《おとこ》たる俺の求める最高の情熱はどこにあるんだ! 俺はどうすれば満足できる!」

 叫んでみるが、答えはどこからも返ってこなかった。 俺は天を仰ぐ。しかしそこにあるのは天井だけだった。

 ふと、そこで俺はあることを思い出す。

「ん? あ、そうだ。今日は奉公人が来るんだったな。えーと時間は……三時半!? あと三十分しかないじゃないか! 挨拶せんといかんから急いで帰らねばならん!」

 俺は廊下であるとか関係なく猛然とダッシュした。

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